飯久保廣嗣 Blog

日本ほど“ナショナル・インタレスト”についての論議が少ない国はないと思います。これは、一般国民から行政、そして政治家に至るまで、言えることではないでしょうか。前回の選挙で新しく選ばれた参議院議員の国民に対するメッセージの中に、“国益”という言葉はほとんど聞かれませんでした。例外的に、陸上自衛隊のイラク派遣部隊の隊長を務めた佐藤元久氏が、述べられているくらいでした。

では、どのようなメッセージがあったのでしょうか。例を引くと、「国民のための、国民から理解される、国民の納得が得られる、国民の声を吸い上げる、国民の声に耳を傾ける……そんな政治を目指す」という発言が圧倒的に多かったようです。また、「国民の審判が下された、国民が自民党にお灸をすえた、国民が政治の流れを決めた、国民が民主党を選んだ……」といった、解説やコメントも聞かれました。

国会議員や代議士になる目的は何でしょうか。そういった原点に今一度戻る必要があると思われます。その原点のひとつが“国益”ではないでしょうか。国益を私なりに定義すると、「国の安全と繁栄、そして国力に応じた国民生活の維持」といっていいと思います。これをマネージするのが国会議員の役割だと思うのです。

そして、国益を得るために欠かせない概念が、「プロブレム・ソルビングの効率向上」と「リスク対応のヌケモレを防ぐ」、そして、「適切な意思決定」です。

ところが、政治や行政の発言に「適切な問題解決がなされた」とか、「客観的な意思決定がなされた」、また「起こりうる将来のリスクに対策が講じられている」といった類のものが全く見られないのが現状です。要は、政治や行政が、新しい状況に対して迅速かつ適切に対応するためのものの考え方(思考様式)が整備されてないところに原因があるのではないでしょうか。

今は、過去の経験や事例、海外のお手本だけでは、適切な意思決定が難しい時代です。従って、国をあげて、上記3つの領域に対する思考力(智力)を鍛えることが肝要であり、それがなされてはじめて、国益に対する論議が活発化するのだと思います。