飯久保廣嗣 Blog

2009年07月30日

スイスのIMD(国際経営開発研究所)が毎年発表する「世界競争力ランキング」によると、日本は1989年~1992は第1位だったが、その後凋落の一途をたどり、94年が4位、96年が17位、02年が27位となった。そして、2009に発表された最新の結果は、1位は米国、2位香港、3位シンガポール、そのあとはスイス、デンマーク、スエーデン、オーストラリア、カナダ、フィンランドと続き、日本は17位となっている(出典:2009年IMD―The World Competitiveness Scoreboard)。ちなみに、マレーシアは18位、中国は20位、台湾は23位である。

このIMDの評価は国の競争力指標として適切でないとの批判もあるが、国際的には認められている調査結果であり、日本の総務省も参考に使っている。2009年度に発表された結果は、世界の57カ国・地域を対象とした、(1)マクロ経済(経済パフォーマンス―Economic Performance)、(2)政府の効率性(生産性・能率性―Government Efficiency)(3)企業の効率性(生産性・能率性―Efficiency)、(4)国のインフラ(Infrastructure)の4領域に関する329の調査項目の集計である。

日本の順位は上がったものの、いまだ低迷しているといわざるを得ない。順位の向上に避けて通れない課題が、政府と企業活動の効率、Efficiencyの改善である。言い換えれば、マネジメントの効率であり能率なのである。日本は物の製造における生産性・効率性・能率性は高く、その品質や競争力において世界に確固たる実績を残している。これは、生産工程を標準化し、品質の管理を徹底することによりなされた。

翻って、政府や企業のマネジメントにおける生産性を考えると、この領域が世界のスタンダードから非常に遅れているのである。このことは、組織が進める意思決定やリスク対応の生産性が低く、結果として意思決定(思考業務)のコストが物の生産と比べて非常に高くなっていることを意味している。 

いくら不良品(不適切な意思決定)が発生しても、製品の不良のように返品が山のように詰まれるわけではなく、事の重要さを見過ごされているのが現状である。これは、組織の最高責任者が重要視すべきことであるとともに、個々のビジネス人も論理武装しなければ厳しい競争を勝ち抜くことは示唆している。

2009年07月23日

私の知人に中国語のエキスパートがいる。彼女は早稲田の大学院で博士課程に在籍しながら、若くして北京大学から「環境マネジメント」について中国語で教える常勤講師として招聘された。おそらく北京大学の日本人の常勤講師は前例がないのではないだろうか。

その彼女との雑談の中で、中国語は単数形と複数形を明確に区別しているということを知り、これは私の中では一大発見となった。今までは先入観で中国語は日本語と同じように単数形、複数形を区別しない言語だと思っていた。しかし、実態は違っていた。これが意味するところは、中国語が、国際語である英語との共通性があり、日本の伝統的思考様式とは一線を画するということである。

もう少し詳しく説明すると、中国語の文法は、日本語のように「主語が不明確」、「動詞が最後につく」という形式とは違い、英語と同じ形式(主語+動詞+目的語)である。その上に、さらに、単数形と複数形を区別するという共通項も持っているのである。

このことは、日本人の国際コミュニケーションにどのようなインパクトを与えるのだろうか。

我々日本人は複数形の概念を意識することが希薄である。そのため、「優先順位の概念を使いこなせていない」、「意思決定という概念において、複数選択肢から最適案を選ぶという明確な解釈がない」、「物事の目的を考える場合、どうしても単数形になり、副次的な目的を考えない」など、国際的な問題解決の場面に参画できない思考様式を持ち合わせてしまっている。

一方、中国語は、国際語である英語や西洋の思考様式と類似している。つまり、日本人はこのままでは、日米中の経済大国の中で、基本的なものの考え方で孤立する危険があるということだ。このことは私にとって大きなショックだった。それと同時に、日本人の思考様式をより合理的なものにするための活動に、ますますまい進しなければと思った。

それでなくても、中国の人たちは、アグレッシブであり、自己主張力があり、議論が大好きで、しかも考え方が合理的である。このことは、米国の特徴と一致する。ことの良し悪しは別にして、これは日本社会全体の問題として捉える必要があるのではないか。

2009年07月13日

本日(7月9日)のラジオ放送で、「麻生総理が米国オバマ大統領と30分の首脳会談をした」と報道された。そのこと事態はニュースに値するが、両首脳がなぜ会談したかという背景をどうしても考えてしまう。

米国側は上記報道の中身からみて、日本側の顔をつぶさないために、会談を持ったのではないかと思われて仕方ない。なぜならば、ラジオ放送によると、両首脳は、「北朝鮮に対する日米の確固たる抗議の姿勢の確認」、「地球温暖化に対する日米の協力の確認」の2項目について合意を得たと報道されているからだ。

あまり言いたくはないが、両首脳の合意項目はどれほどの意味があるのだろうか、と考えてしまう。私が、麻生総理が言ってほしかったことは、「オバマ大統領が抱えている大きな問題に対して、日本政府もできるだけの協力をする用意がある」ということである。

例えば……

◇核拡散防止の国際協力に、唯一の被爆国である日本が応分の役割を果たす用意がある。
◇世界同時経済危機に対し、継続した両国の協調を維持する。
◇アフガニスタンに対し、日本国は戦争状態の収束を図るために最大限の外交努力をする。
◇途上国の人材開発・育成に日本は積極的な具体案を提示する用意がある。
◇中国対応について米国と日本は共通のアジェンダを設定する。
◇アジアにおける経済発展の日本の役割を明確にし、それを実行する。

など、発信するテーマはいくらでもあったのではないか。

このことを考えると、麻生総理が、オバマ大統領に会った目的は何かと思ってしまう。単なる自己アピールと、自民党の外交手腕に関する広報活動に過ぎないのではないか。そのあたりを、メディアがぜひ取り上げて、本質を論じてほしいものだ。

2009年07月06日

我々が、目指す論理思考の強化は、言い換えれば、グローバル・スタンダードである標準的な思考様式を理解し、それらの“Why”を明確にして、実践に活用できるツールとして身に付けることにほかならない。

そして、日本的な思考様式にある、さまざまな知恵や考え方を、再編成すると、自ずから論理的な思考様式が確立できることを認識したい。論理的な思考様式は、西洋からの輸入品ではなく、我々の経験がそのベースとなるのである。この領域における日本の弱みは、判断業務におけるさまざまな知恵が、体系的に整理されていないことである。

では、今回は優先順位の“Why”について考えてみる。なぜ我々は優先順位をつける必要があるのか。それは当たり前のことであるが、限られた経営資源(人、モノ、カネ、時間、技術、情報、場所など)を有効活用するためである。例えば、重要度や緊急度がともに低い案件を分析し、対応策を立案することは、必ずしも合理的とはいえない。

ここで、注意すべきことは、優先順位と意思決定とは区別して考える必要があることである。優先順位とは、直面する状況の中で複数の問題や課題があった場合、どれから手を付けるかの判断をするに過ぎない。これに対し、意思決定は、決定事項に対して、複数の選択肢を立案し、最適なものを選ぶという分析行為なのである。必要であれば、このようなことも充分に意識したい。