飯久保廣嗣 Blog

2007年10月29日

「想定外」という言葉を、メディアで使った人物が誰であるかは、今更言及する必要はないでしょう。しかし、不祥事や問題が発生すると、安易に、この「想定外」と言う言葉が、使われる場合が今もあります。

「想定」を広辞苑で引くと、「心中で決めること」、大辞林によると、「状況・条件などを仮にきめること」という定義しか見られません。「想定」を英訳すると、“hypothesis”であり、その意味は、「ある結論を引き出すための想像、推察、推測、過程、考え」と定義されています。

この概念を現実に起きた現象に当てはめてみましょう。例えば、以前に発生したコンコルド離陸失敗による事故。原因究明で明らかになったことは、直前に離陸したコンチネンタル航空から鉄片が落下。その鉄片をコンコルドの車輪が巻き込む。巻き込まれた鉄片が、主翼に当たる。しかも当たった場所が燃料タンクだった。そうしたことが、偶然の連鎖となり事故につながったようです。

これらの一連の起こった現象を発生確率として考えた場合、極端にゼロに近いと、当時の事故調査委員会は判断。従ってこの事故は「想定外」ということになります。

2007年10月22日

最近の日米関係で気になることがあります。

まず、世界的な日本の自動車メーカーの米国法人の最高幹部2名が、相次いで辞任。そして、米国競合企業に就職する。さらに、同メーカーの現地の工場には、本社からエンジニア一行が「ご指導」のために訪れ、現場で働く米国人の間に緊迫した空気を漂わしているということを耳にした友人もいます。また、日本を代表する大手IT企業の米国法人がNASDAQ市場から除名に近い処分受けたということも伝わってきております。

一方、米国の消費者専門誌の自動車信頼度評価で、長年高い評価を得ていたトヨタの主力車が推薦リストから外されるなど、米国市場における信頼性が若干低下したという報道を、日経新聞で見ました。また、米国駐日大使がことあるごとに、日本の農産物の関税引き下げ(特に米)を要求していることも挙げられます。

なぜこのような現象が起きているかを、国益という切り口で考えてみる必要があります。米国人が非常に大切にしている産業や文化に対し、無神経に行動することが、どのような結果を生むか。これを想定してみたいものです。

2007年10月15日

先日の報道によると、一般消費者から1千億円前後を集めた健康関連商品販売会社が、詐欺事件として刑事告発されたとのことです。被害に遭った出資者はどのような発想で出資の判断をしているのでしょうか。多くの場合は、出資者を信用させるための巧妙な仕掛けや仕組みがあります。いわゆる著名人や親しい友人に薦められると、思考停止になり、自己判断を放棄する傾向が一部の日本人にはあります。このような状態に陥った人たちが被害者となっているようです。

では、被害に遭わないための処方箋はあるのでしょうか。ひと言で言えば、「主体的な判断で対応すること」。これに尽きると思います。

主体的な判断のために必要な発想は、リスクを起こり得る現実として想定することです。「この出資に同意したら、どのようなリスクがあるか」を自問自答し、思いつくままに列挙していきます。これは実際に紙などに書き、目で見える状態、いわゆる「見える化」することがポイントです。

2007年10月09日

私の米国留学時代の学友にテキサス州の教育委員会で青少年問題に長年取り組んできた女性がいます。彼女は中高生の自殺予防対策の専門家であり、著書も多数あります。彼女によると米国では、中高生の自殺の背景には、アルコールやドラッグ、両親の離婚、そして自信喪失等があるそうです。

一方で、日本では、自殺の背景には「いじめ」があります。昨年彼女とこの問題について若干議論をしました。ニューヨーク育ちの彼女は自分の兄による「いじめ」があって、大学の宿舎から家に帰るのがいつも恐ろしかったと笑って言っていました。成人した今は非常に仲の良い兄妹になっています。

ところで、「いじめ」は英語でBullyといいます。定義は、「小さいもの、弱いものに対して、恐怖や脅威を与える」などとあります。一般的にBullyをする人は人間として最も卑しいと言われます。職業として、「客引き」、「ポン引き」などという意味もあります。

2007年10月01日

「今日のビジネス人はリスク・テイキングをしない」という批判があります。リスクを負わずに成功を勝ち得る時代は過去にありました。しかし、日本的経営の終身雇用、年功序列が崩壊しつつある今日、リスクを取る人たちが現れないと、世の中の活力が失われる。これは自明の理です。

日本のことわざにもあるように、「失敗は成功の元」です。それにもかかわらずリスク・テイキングの機運は生まれないように見えます。世の中には、国家予算を使って失敗の研究から成功のヒントを求める研究をする機関がありますが、その成果はほとんど聞こえてきません。