飯久保廣嗣 Blog

2009年03月30日

欧米では、ラショナル(論理的で体系的)なプロセスが、どのようにして組織の一部となってきたのだろうか。GEでは、KT社と長年契約しその導入を図ってきたが、あまりにも膨大な費用がかかっていた。そこで、KT社を退社しGEに入社したコンサルタントに、GE版のプログラムを開発させ、それを定着させたため、KT社との関係は打ち切りとなったとのことである。デュポン社やGMでも同じような方法により内製化が図られ、社内システムの一部として機能していったようである。

そこで話を日本に戻そう。私は、EM法を全国レベルの普及をどのように図ったらよいかを考えた末、営業力のある、知名度の高い、㈱日本能率協会マネージメントセンターにEM法の事業譲渡をした。2008年4月のことである。

ラショナル思考の沿革は以上であるが、最後に日本の社会との関連において、私見を述べたいと思う。

長期に渡る知識偏重社会の影響のため、問題解決に対する思考様式が著しく日本固有なものになり、これを放置しておくと、グローバル社会における問題解決活動に日本が参加できないことになるのではないかという危惧を持っている。

日本固有の思考様式とは、一言でいえば、「暗算思考」ということができる。回答が正しくても、そこにいたるプロセスが見えてないということである。ある著名な学者の話によると、その学者は米国留学時代、期末テストで自信を持って数学の問題に解答を出したところ、評価は100点満点中10点だった。そこで担当教授にその理由をただしたところ、「結論にいたる根拠が明確に示されていなかったため」といわれた。「根拠が示さなければ、この回答があてずっぽうの数字であっても正解になってしまうではないか」とのことだった。

また、日本の教育においても、生徒や学生をして、考える喜びを奪っているのが現状ではなかろうか。例えば中等教育で歴史の先生が、ある年代の授業が終わった後、子供に対して次のような質問をしたら、子供は必死に考えるのではないだろうか。「この時代にコンピュータがあったらどういう状況になるだろう」。あるいは、「この時代のリーダーには、別の方法があったのではないか。それを考えてみよう」といった質問をするだけで、子供は考える喜びを持つのではないだろうか。

さらに今後は、思考学会のような団体を立ち上げ、学際的な研究活動を展開し、日本の諸領域に対して、ラショナル思考を訓練するためのメソドロジーを開発してはどうか。この中には、色々な分野が考えられる。例えば、企業経営、行政の生産性向上、各科学分野での研究活動、医療関連分野の効率化、そして教育制度の中で「考える力」を養成することなどが挙げられる。要は、日本社会全体の意思決定に関わるコストが他国に比べて異常に高いということである。この証左として、スイスのIMDの世界競争力年鑑によれば、日本の総合評価は17位~24位に低迷している。ビジネスと政府の効率の悪さが背景にあるといわれている。このことは、日本にとって避けて通れない大きな課題といえるのではないだろうか。

2009年03月16日

1980年代の前半は、アメリカの製造業が衰退していた時代だった。日本のメーカーよりも製品の品質、生産性が低く、苦しんでいた。そこで、私は、トリゴー氏に対して、日本の経営の知恵を集大成して、米国の企業に供するという提案をした。しかし、トリゴー氏は関心を示さなかった。それと同時に、KT法も日本の経営風土に合わせた商品にするべきであると、進言したが、これも取り上げるに至らなかった。

一方、ケプナー氏とは、この状況をとゆっくりと話す機会を得て、「ラショナル思考というのは、人類の財産である。それを国情に合わせて展開することが、王道である」ということで意見が一致した。

そのころ、ケプナー氏自身も、自分が創業した会社ではあったKT社を去る決断をされていたので、私は、KT法の日本に合った展開を、ケプナー氏の強力な支援によって、推進することができた。余談になるが、私からプログラム名を「KI法にしよう」という考えを示したが、ケプナー氏は反対された。その根拠は、「ラショナル思考は固有な組織や個人が独占するものではない」ということである。

1982年に、私とケプナー氏はKT社を退社し、その後、ケプナー氏はケプナー・アソシエイツを設立、私は、デシジョンシステムを創立した。そして、共同で「EM法」(EM=“Effective Management”)を開発したのである。

EM法の実績の1つは、JR東日本に対する導入である。国鉄から民営化されたJR東日本が、教育に力を入れたのは言うまでもない。国鉄時代は、全国の国鉄職員40数万人をマネージしていたのが、本社の1000人の精鋭であるといわれていた。民営化された後のJR東日本は、行動様式の改革に力を注いだ。たまたま知人を介して教育の責任者と会うことできたので、私はこのように申し上げた。「行動様式と同時に思考様式の変革が必要ではないか」と。

教育責任者はEM法に関心を示した。そして、JR東日本の各部門の企画課長会議で、2時間の時間を研修に割いていただけることになった。その反響を見た上で、社内での展開を判断するという運びとなった。結果として、その研修は高く評価された。そこで次は各部門の部長に対し研修を実施し、同じく高評価を得られた。その結果、暫時係長、課長に対しても、展開することになった。ちなみに、当時の人事担当取締役は、現在の会長である大塚陸毅氏であった。

JR東日本へは、EM法のある程度の貢献があったと自負している。しかし、それは、前号で記述したホンダの一気呵成なグループ会社を含む展開とは異なり、あくまで、能力開発のプログラムとしての位置付けだった。

2009年03月13日

日本における論理思考の発展は、KT法(KT=ケプナートリゴー)、EM法(EM=“Effective Management”)の歴史と歩みを同じくしていたといっても過言ではないだろう。この場合の論理思考とは、プロブレム・ソルビングに対する実践論理のことであり、形式論理とは一線を画する。

この実践論理は、C.H.ケプナーとB.B.トリゴーが米国のシンクタンクであるランドコーポレーションで、組織開発に携わっていたことにより、まとめられたものである。この両氏は社内のマネージャーを観察して、プロブレム・ソルビングに長けている人と、平均的な人の差が大きいことに気づいた。そこで両氏は2000人の管理者にインタビューし、できる人間のエッセンスを抽出したという。しかし、それで満足が得られなかったので、数多くの会議を参加し、優秀な人間がどのように論議を展開するかを、さらに観察し、KT法ができあがったということである。

そして、このKT法は“The Rational Manager”という一冊の本にまとめられた。日本でも、『管理者の判断力』という、今では古典的な問題解決に関する翻訳本となっているものが出版された。この訳本は当時かなり注目を集め、様々な研究会ができたと聞く。ケプナーとトリゴーは1958年に共同でKT社という会社も設立し、米国でKT法をGMやフォード、GE、IBMなど優良企業に展開し、高い評価を得ていったのである。

一方、日本国内では、1969年、KT法の第1回目のセミナーが外資系企業の外国人幹部を対象に、上智大学の国際部の主催で、開かれた。当時私は、国際部の非常勤講師を務めていた関係から、このセミナーに誘われ参加。講師は、R.バンスティーラントであり、英語でそのセミナーは実施された。

当時の私のKT法に対する関心事は、「国際コミュニケーションを図る上で、英語力以外に何か必要なものがあるのでは」ということであった。そして、このKT法が、まさにその解答となったのである。つまり、問題解決の思考のベクトルが合わなければ、国際コミュニケーションはスムーズにできないということである。

その後私は1972年に、100%本社出資の会社として、国内でケプナートリゴー(日本)を設立し、グローバルなスタンダードとしてのKT法を、日本に取り入れた。米国の本社は、米国系日本支社への展開を指示したが、私は、日本の代表的な企業で評価されない限り、国内での展開は困難であると判断した。そこで、日立製作所、日産自動車、第二精工舎(現エプソン)に持ち込み、その展開に成功し、高い評価を得たのである。

それ以後、全社的に導入を図ったのが本田技研工業であった。ホンダはトライアル研修で評価をした後、当時の河島喜好社長以下17名の全役員が受講。担当者に「もしホンダで採用するならば、次の3点を考慮せよ」と、河島社長は指示した。それは、①展開するならば一気呵成にやること、②実践的に展開すること、③元に戻らない仕組みを作れ、ということであった。

最終的にホンダへのKT法導入を決断されたのが、西田通弘専務(当時)であった。そして、初年度に、部課長クラス2000人の研修を社内講師を養成して展開した。その延長線上で、関連企業や協力企業にさらに展開していったのである。私はヨーロッパのホンダ現地法人社長及び幹部に対する研修の講師を務めた。副次的な効果は、当時社内のフランス人とドイツ人の間には確執があったが、この研修により、共通の思考プロセスを共有することが可能となり、その場で両国人が問題解決を協力して取り組めたことだった。

余談だが、西田専務がKT法の導入を決断されたときに、ホンダではKT法は必要ないといわれた。なぜならば、創業者・本田宗一郎翁は、「論理ないところに行動なし」という信念を持って、会社の経営に当たり、それが社内に浸透していたからである。しかし、私は「ラショナル思考はホンダにおいても、評価をするに値する思考ツールである」とアピールし、トライアル研修につなげ、その導入を果たしたのである。

また、大久保叡取締役(当時)は、ラショナル思考を評して、「ホンダはドブから這い上がるのはうまいが、ドブに落ちないようにする工夫にかけていた」と、言われたことを今でも鮮明に記憶している。これはリスクに対する対応が甘かったということである。ホンダが、この領域を強化することにより、経営資源のムダをなくすことにより、問題解決や意思決定のスピードと精度が多少なりとも、向上したといえるのではないか。

2009年03月02日

なぜ日本は米国に追随・追従していると思われているか?

日本の対米追随・追従が言われて久しい。多くの原因の中で2~3の例あげると、その1つは日本人の意思決定の迅速性と精度が低いため、アメリカのペースとの間に大きなギャップが生まれるからである。日本側が分析をしている間に、米国側は結論を出してしまう。これが1つの原因である。

2つ目の原因は、日本人の意思決定に対する思考様式の特性である。特に、二者択一という発想から逃れることができないのが日本人の発想である。つまり、イエスかノーから発展しないのである。欧米がある件に対して意見を求めてきた時に、イエスかノーかでしか判断できない。本来は、決定事項の本質を考えて、新しい選択肢を提示しなければならない。

かなり前の話だが、ソニーの当時の盛田昭夫会長と現石原都知事の共著があった。タイトルは『「NO(ノー)」と言える日本』であったと思う。著者の本来の意図は、日本の意志を明確に米国に示すことであった。この意志の中には、当該問題に対して、「日本はこう考える」という日本の主張を相手に発信することも含まれていたはずだ。

10年ほど前に、ある日本の大新聞は、その年の正月に一面のトップで外国の首脳に、日本のあるべき姿について取材をし、それを掲載した。また、ある経済雑誌は、バブル崩壊後の平成不況の始まりのときに、米GE社の当時のCEOであったジャック・ウェルチ氏に日本産業界に対する提言を取材し、これも大々的に掲載した。このような日本のメンタリティは日本が主体的に自主的に意思決定をする姿勢を示唆していない。

3つ目の原因は、日本が世界社会で、「問題解決者」としての意識が薄いのでは、ということだ。これは積極的な国際貢献の第一歩である。方法や方策に短絡にて、金銭的な協力を国際貢献と考えるのは間違いである。経済的に小国であるデンマークは国際紛争に対して調停などで実績を上げている。

問題解決者は、米国のジョセフ・ナイ博士がいった「コンテクチュアル・インテリジェンス」と中国にある「智力」の概念を理解することが重要だ。すなわち、当該問題に対する十分な知識がなくても、全体像を把握し、本質をおさえ、問題解決ができる能力を重視し、その習得に努めることが肝要ということである。この概念が一時日本でも注目された「コンセプチュアル・スキル」なのである。