飯久保廣嗣 Blog

欧米では、ラショナル(論理的で体系的)なプロセスが、どのようにして組織の一部となってきたのだろうか。GEでは、KT社と長年契約しその導入を図ってきたが、あまりにも膨大な費用がかかっていた。そこで、KT社を退社しGEに入社したコンサルタントに、GE版のプログラムを開発させ、それを定着させたため、KT社との関係は打ち切りとなったとのことである。デュポン社やGMでも同じような方法により内製化が図られ、社内システムの一部として機能していったようである。

そこで話を日本に戻そう。私は、EM法を全国レベルの普及をどのように図ったらよいかを考えた末、営業力のある、知名度の高い、㈱日本能率協会マネージメントセンターにEM法の事業譲渡をした。2008年4月のことである。

ラショナル思考の沿革は以上であるが、最後に日本の社会との関連において、私見を述べたいと思う。

長期に渡る知識偏重社会の影響のため、問題解決に対する思考様式が著しく日本固有なものになり、これを放置しておくと、グローバル社会における問題解決活動に日本が参加できないことになるのではないかという危惧を持っている。

日本固有の思考様式とは、一言でいえば、「暗算思考」ということができる。回答が正しくても、そこにいたるプロセスが見えてないということである。ある著名な学者の話によると、その学者は米国留学時代、期末テストで自信を持って数学の問題に解答を出したところ、評価は100点満点中10点だった。そこで担当教授にその理由をただしたところ、「結論にいたる根拠が明確に示されていなかったため」といわれた。「根拠が示さなければ、この回答があてずっぽうの数字であっても正解になってしまうではないか」とのことだった。

また、日本の教育においても、生徒や学生をして、考える喜びを奪っているのが現状ではなかろうか。例えば中等教育で歴史の先生が、ある年代の授業が終わった後、子供に対して次のような質問をしたら、子供は必死に考えるのではないだろうか。「この時代にコンピュータがあったらどういう状況になるだろう」。あるいは、「この時代のリーダーには、別の方法があったのではないか。それを考えてみよう」といった質問をするだけで、子供は考える喜びを持つのではないだろうか。

さらに今後は、思考学会のような団体を立ち上げ、学際的な研究活動を展開し、日本の諸領域に対して、ラショナル思考を訓練するためのメソドロジーを開発してはどうか。この中には、色々な分野が考えられる。例えば、企業経営、行政の生産性向上、各科学分野での研究活動、医療関連分野の効率化、そして教育制度の中で「考える力」を養成することなどが挙げられる。要は、日本社会全体の意思決定に関わるコストが他国に比べて異常に高いということである。この証左として、スイスのIMDの世界競争力年鑑によれば、日本の総合評価は17位~24位に低迷している。ビジネスと政府の効率の悪さが背景にあるといわれている。このことは、日本にとって避けて通れない大きな課題といえるのではないだろうか。