飯久保廣嗣 Blog

戦後の日本を救った米国

1945年の太平洋戦争敗戦直後、米国は戦後のわが国に対して、総額二十億ドル(当事の為替レート換算で7,500億円)という膨大な援助を実施した。

これら援助は、ガリオアおよびエロアと呼ばれ、国民を異常な食糧難と飢餓から救い、今日の経済復興を遂げ得る基盤を築くことができた。当時の米国の敗戦国に対する寛大は処置を忘れてはなるまい。

ちなみに、旧ソ連のグロムイコ外相はサンスランシコ平和条約締結に、日本に対する処置が寛大であると言って、不満を表明し、調印式から退席したことも忘れてはならない。

もっとも、このガリオアエロア資金に対して返済要求が米国政府より日本になされ、1954年に両国間で協議がなされ、その使途は両国の教育交換計画など教育投資に使われるとされたが、賠償問題も解決されず、結局曖昧に処理されたようである。

しかし、米国は戦争賠償の要求を放棄した。そして、当時の蒋介石中国政府も戦争賠償を放棄したことが歴史の事実としてある。ちなみにヨーロッパに対するマーシャルプランは西ドイツ(当時)を中心に当事者間の協議の結果、一部が分割方式で米国に返済された。

また、1951年に調印されたサンフランシスコ平和条約締結の直前の1950年、当時のダレス国務長官が来日し「米国と日本は勝者(Victor)と敗者(Vanquished)の関係ではあるが、完全な対等な関係(Completely on Equal Basis)で、平和のために両国を含む連合国との関係を修復する」と演説していた。

国際社会が注視する“日米”と“日中”

前置きが長くなったが、ここから本題に入りたい。このたび発足した鳩山政権の外交政策を見ると、こうして我国と米国が築いてきた歴史的な信頼関係をどのように評価しているのかが心配になる。

日本が国家として存続するためには、日米同盟が不可欠である。勤勉な国民性やボランティア精神、人権に対する考え方、そして民主主義という多くの共通点があり、信頼関係の基礎がある米国との同盟関係は日本外交の基礎であることを忘れてはならない。

日本が米国との強力な信頼関係なくして、長期的に中国や韓国と対等な同盟関係が確立できるのか、その可能性を考えてしまう。果たして、現実的なのだろうか。

また、戦後64年の日米関係から我国は多くの恩恵を受けた。また、日本も米国の外交政策などに協力してきた。この協力・友好関係を「米国に依存しすぎてきた」と言って、米国と距離を置くという発想は、果たして国際社会が評価することになるのだろうか。真の友人関係というのは相手が困っているときに親身になって相談に乗る関係ではないだろうか。

中国が大切であると言って単純に日米関係ウエイトを下げる。そしてその分中国とアジアに軸足を移し、対等な立場で信頼関係を確立しようとする。このような日本の考えを、国際社会はどう見るのだろうか。そして、米国はどう考えるのだろうか。

まだまだ、政治制度、倫理観、人権問題、言論統制、共産主義体制、国際外交における経験不足、国家理念などが異なる中国と、対等な立場で信頼関係を確立できるのだろうか。

一番気になることは、中国が、「井戸を掘った人の恩義を忘れない」という考えを持ち、実践していることである。日本が米国から受けた恩義を忘れて、日米の友好関係を軽視している傾向を中国の指導者がどう見るかである。

中国の指導者が、日本は米国との友好関係を利用するだけ利用して、情勢が変わったからと言って恩義を忘れる軽薄な恩知らずの国民性を持つ国であるとでも考えられたら困る。日本の国益とはこのようなところにもある。

西郷翁の遺訓から学ぶ外交の本質

このことは日本と日本国民の威厳と威信に関わることではなかろうか。前にも述べたが、ここで、西郷隆盛の遺訓を紹介したい。

正道を踏み、国家を以って斃るるの精神無くば、外国交際は全かる可からず。彼の強大に畏縮し、円滑を主として、曲げて彼の意に従順する時は、軽蔑を招き、好親却って破れ、終に彼の制を受くるに至らん。

少し解説をすると、

人間社会・国際社会の普遍的な正しい道を歩み、国家として全力投球をしなければ、外交は成功しない。相手が強大である事に萎縮して、うまくいくことを重要に考えて、相手の意見に従ってしまうときは、相手から軽蔑され、友好関係が破綻して、最後には相手のコントロールを受けることになる。

この遺訓を生かすことが、相手と対等に渡り合える条件ではないだろうか。

日本の外交政策もこのような歴史からその本質を学びたいものである。西郷が国賊の汚名を受けたことは事実ではあるが、それと同時に、明治の大人物として国のために尽くした歴史上の大先輩であることも覚えておきたい。

これは、筆者が昭和41年にダイヤモンド社から出版した『外人コンプッレクス』から引用した。古くは、明治の思想家、宗教家、教育者の内村鑑三が『余の尊敬する日本人』で紹介している。

鳩山政権の外交姿勢を論理的に分析すると、ある政策を採用した結果、どのようなconsequence(そのことを実行したら、どのような複数の結果が起こりうるか(プラスとマイナス)の想定)と対策が充分になされているかということである。単なる思い付きやある特定の人間の影響から短絡的に政策を策定し、展開することも危険なことである。

友好は結果であり目的ではない

話を鳩山新政権下の日米関係に戻そう。鳩山総理の外交ブレーンにどのような人物がいるかは知らない。しかし中国重視を進言する人は、国家間の同盟関係は、両国が相互にその必要性を認識しなければ成立しないことを、どのくらい認識しているのだろうか。

そういう点で、果たして、中国が日本と同じレベルで両国間の信頼関係を構築しようと考えているのだろうか。中国側の日本に対する優先順位は日本のそれと比べてかなり低いといわざるを得ない。中国にとって、もはや日本は眼中にないと見てよい。当然、中国が相手にする国は、中国より進んでいる米国である。

このような地政学的な状況の中でこそ、西郷翁の「曲げて彼の意に従順すると軽蔑を招き」を心したいのである。両国の「国人」の間の交流・友好は促進する。しかし、政府間の関係は友好よりも緊張の連続と考えたほうがよい。友好関係の確立は結果であって、それ自体が目的にはならない。問題を関係者が満足する状態で解決する結果、友好関係が確立されるのではないだろうか。

問題解決には政治的な判断、外交に関する経験とともに、論理的な思考様式が必要なのである。物事が感情的にこじれてきた時に、それを解決する力は理性でありABILITY TO REASONなのである。