飯久保廣嗣 Blog

2010年01月04日

平成不況の中、伝統的な製造業で健闘している企業にホンダがある。戦後に創業した世界的な企業の代表格がホンダとソニーだが、ソニーの経営実態が揺らいでいるように見える中、ホンダは軸がぶれない経営をしているように見受けられる。

この背景は何かを考える。1つはホンダは常に創業者・本田宗一郎の理念や考え方に、原点回帰しながら、激変する経営環境に対応していているように思える。本田宗一郎翁が亡くなって20年近く経つが、変えるものと変えてはいけないものの判断が適切になされているのだろう。

激動の時代に組織や個人の羅針盤になるものが、原点であると思う。歴史を紐解けば、日立製作所の原点は「国産技術振興」、新日鉄をはじめとする鉄鋼会社の原点は「鉄は国家なり」であった。

今日の閉塞状況から抜け出すためには、政治家も役人も企業人も個人も原点回帰が必要なのではないか。そのためには、原点とは何かを明確にし、行動規範の基準にする必要があるのでないか。

政治家の原点とは何だろうか。それは、「国益を含む『公』のために自己犠牲を伴い、強い志を持ってよりよき社会の実現に向けて奉仕すること」ではないだろうか。はなはだ書生じみた言い方ではあるが、それこそが原点というものである。また、役人で言えば、「国や国民の生命・財産を守るために公僕として仕えること」になるだろう。

教職にある人たちは、ダライ・ラマの言葉を借りると、「“Good Heart”を持つ人格を形成させるために、自分が社会で何ができるかを自覚させ、それを追求していくための知識や智力を身につけさせること」とでもいえようか。

企業経営者の原点は、「縄張りをして規模を定め基礎を立てて物事を営むこと(戦略)」、「工夫を凝らして物事を営むこと(オペレーション)」、「継続的事業を経済的に成し遂げるために工夫した仕組(組織)」を熟考することになるだろう。これは最初に出版された広辞苑第1版(昭和30年発行)における『経営』の定義である。

ちなみに経営という言葉については、「多日の経営をむなしうして片時の灰燼となりはてぬ」という記述が平家物語に出てくる。

では、企業人の原点は何だろうか。これは皆さん1人ひとりが新年にあたり、お考えていただければと思う。これは千差万別であろう。

しかし、1ついえることは、私と公のバランスを取ることが重要ではないかと私は思う。災害時のボランティア活動や社会奉仕に対して、若い人たちが関心を持って行動する日本は、まだ捨てたものではない。

最後に日本の国としての原点を考えてみたい。日本は、非西洋国として西洋の国と条約を締結した最初の国であり、そのときの相手国は米国であった(日米和親条約―1854.3.31締結)。それ以前の非西洋国は、中国をはじめほぼすべて植民地化されていた(タイとエチオピアを除く)。日本だけ植民地化を逃れたのは、西洋の列強が日本と日本人の国のあり方に一目置いて、同列な民族として対応しようと考えたからではないか。

そのマニフェステーション(顕示、天啓、啓示)の1つが、明治維新の立役者の1人であった西郷南州翁の遺訓である。日本の外交姿勢が問題になっている今日、遺訓の1つを国の原点としてご紹介し、新年のスタートとしたい。

正道を踏み國を以て斃(たお)るるの精神無くば、外國交際は全かる可からず。彼の強大に畏縮(いしゅく)し、圓滑(えんかつ)を主として、曲げて彼の意に順從する時は、輕侮(けいぶ)を招き、好親却て破れ、終に彼の制を受るに至らん。

外交の原点はこれだが、社会における様々な側面には、それぞれ先人が残した原点があるはずだ。2010年は、原点回帰の年としたい。