飯久保廣嗣 Blog

2008年03月31日

日本の平均的ビジネスマンは、英語の教育を、大学を入れれば8年間受けている。この間に英語に関する基礎知識を充分に学習している。さらに社会人になってからも英会話の習得に、多大な投資をする人たちもいる。

それにも関わらず、なぜ自分たちは英会話が上達しないのかと、悩んでいる。その結果、「聞き流すだけで英語がしゃべれる」といった、幻想に近い商品に惑わされるケースもあるようだ。「聞き流すだけ」に、「画像も見ながら」を入れれば、さらに効果的か。そうであれば、週に10本の映画鑑賞を数ヶ月続ければ、英会話が上達することになる。このようなことは少し考えれば現実的ではないことがわかる。

英会話の上達は、大変な根気のいる作業である。まず、その出発点において、発想をイノベーティブに転換する必要がある。いくつかのヒントを述べたい。

①英会話と質問
英会話では自分の主張を表現することよりも、相手に話させるために有効な「質問力」を身に付けることが鍵となる。英会話は相手に質問をすることから始まるといっても過言ではない。英語による自己表現に自信がないという人は多い。しかし、英語で質問をすることに自信がないという人は少ないだろう。まず、質問をいくつか想定しておき、相手の立場や状況により、臨機応変に使いこなす。この姿勢が重要である。

②マイペース会話
英会話のレベルを自分のペースに持っていくこと。自分が初級の実力であれば、そのペースで英会話を進めていくことである。相手のレベルと合わなければ、例えば、「もっとゆっくり話してください」、「難しい単語は使わないで下さい」、「日本人にわかるような発音をしてください」と要求する。

③発信力
英会話における声の大きさは、意識して日本語を話すときの3倍にすること。それが英会話能力を超えた「自分を発信する」ということにおいて、自信につながる。場合によっては、日本語交えてもかまわない。

④議論
議論とケンカを分けて考えることである。英会話の中で相手の意見に同意できない場合、日本人は相手の意見に自分を合わせてしまう傾向がある。これは波風を立てない、対立を防ぐといったことからくるのだろう。議論は決して人間関係や友情を壊すものではないという認識を持つべきである。例えば、「私の意見は………であるから、あなたと違う。なぜなら………という背景や根拠があるからだ」といった、議論、主張が必要であり、それが、欧米人やアジア人と英語で渡り合うためのスキルを磨くことにつながる。

⑤日本語による日本人のための英語
最後に、英語を正確に話す「ネイティブスピーカーシンドローム」からの決別の必要性をも付け加える。“th”は舌をかまなくてもいいし、“r”は舌を巻く必要もない。“f”や“v”は唇をかむ必要はない。何故なら、英語が国際語であるならば、イギリス英語やアメリカ英語はその「1つの方言」であり、それを猿まねする必要は必ずしもないと考えるからである。従って、日本的な英語でも一向にかまわない。自分の話す英語を、発音を気にせず、関西弁や東北弁くらいのつもりで、とにかくパワフルに発信することが必要なのである。
インド、中国、シンガポール、イタリア、イスラエル、等の人々の英語は、内容はともかく実に力強い。

2008年03月24日

国際社会における日本の国力低下が顕在化していることを、心ある国民は深刻に受け止めている。その一つは、国が直面する諸重要課題への問題解決や意思決定に、国際的な常識では考えられないほど時間がかかっていることである。諸外国からの不信の原因はこのような状況を放置している国民(mediaを含)の無関心な態度に対してではないだろうか。

この状況の背景の1つが、日本人の固有の「思考様式」にあると断言できる。それが今回の日銀総裁選出の混乱である。総裁代理という対応が国際的にどのように受け止められるかについて、そのマイナスを想定して頂きたい。代理が決ったからといって、海外の不信感が解決されるとは思えない。そこで、このことを考えてみたい。

まず、国際的にインパクトが大きい人選に関しては、当初の段階で複数の候補者を提示することが必要である。これは国際的な常識ではなかろうか。これに対して日本の現状は、特定候補Aを政争の具として扱い、合意がなされる可能性が低いにもかかわらず、「理解してほしい」という無理な願望を持って強引に提示している。

しかも、与党側の推薦する根拠は、抽象的で不明確であり、また野党も反対する根拠が明確に見えてこない。このようなことの繰り返しで、任期満了の直前になって、元大蔵事務次官を再提示した。この候補に野党は反発し、反対を表明。このような、不明瞭な腹の探り合いをいつまで続けるつもりなのだろうか。真の国益を関係者は認識して欲しい。

有効な解決策はない。しかし日本人の思考様式を若干でも合理的で筋が通るものにしようと考えることが肝要である。日本社会に通用する意思決定や問題解決の思考様式は国際社会では通用しないだけでなく、結果的に日本が孤立する危険があることを認識したい。
下記の考える段取りは現実的ではないかもしれないが、このような発想も場合によっては必要かもしれない。

①初期の段階で候補者を複数選ぶ。

②複数候補を判断するための基準を設定する。
ex.)「国益優先の判断ができること」、「金融政策に対する自分の思想、理念、信念を持っていること」、「国際金融畑での実績があること」、「国内外の人脈を持っている」など。

③これら項目に対して、各候補に関する情報を収集し、公表する。

④その結果、候補者が絞られ、暫定的な人選が決まる。

⑤最後のプロセスとして、政治的な決断を下す。(選出した場合のマイナスを含む)

合理的でシステマティックな思考様式を確立して関係者が認識することは、重要案件を審議する上で不可欠であろう。それは、意思決定の精度と効率に直接的に関係するからである。音楽の合奏には楽譜が必要である。意思決定にも考えるプロセスを関係者が共有することにより、問題から結論に至る過程が見えるようになるのではないだろうか。

2008年03月17日

政治が混迷する中、代議士や国会議員が政策集団(勉強会なども含む)を立ち上げる動きが活発化している。国家経営に対して危機感を持つ政治家が、やむにやまれぬ気持ちで行動した結果であろう。国民レベルでは、どの政治家がどのような目的で政策集団を展開しているのかが、把握し切れないことは残念である。

ただし、これらの政策集団には不思議な点がある。政治家だけで集まり、有識者や一般国民を当初からメンバーとして迎え入れていないことである。おそらく政治家の政策集団には必要なときにだけ国民などに意見を聞くという、旧態依然としたスタンスがあるのだろう。

そもそも政策集団を設立することの目的が明確でない。さらに重要なことは有識者や国民を政策集団のメンバーに入れないことの根拠が不明瞭である。

実効性のある政策集団へと脱皮を図るには、一般国民を巻き込むことが不可欠である。さらに、国民メンバーに加える場合は、その人選基準を明確にすることも必要だろう。代議士の代議士による代議士のための政策集団であれば、発展性は限られるのではなかろうか。

今回は1人のナイーブな国民の政策集団に対する意見を述べさせていただいた。

2008年03月10日

報道や週刊誌が、興味本位でこの問題を取り上げ、一方的にエスカレートし、ますます防衛省に対する不信感を助長する空気が国を覆っている。今必要なことは、冷静になり、防衛省側に問題があったとするならば、その本質的な課題を整理して、設定することではなかろうか

報道による情報から1人の素人としてこの状況に対応するべき課題の一部を列挙してみたい。それらは、分析や調査の焦点を明らかにし、総合的なソリューションを構築するためのヒントになるかもしれない。(下記はアトランダムに列挙したものである。これらに優先順位を付けて作業することは言うまでもない)

 ・日本近海における海難事故対応態勢(9条を含む)の再構築
 ・海難事故に関する情報伝達複数経路の確立
 ・事故タイプ別の原因究明態勢の再確立
 ・××領域における海上事故発生を想定した各種対策を予め立案
 ・○○領域における海上事故発生を想定した各種対策を予め立案
 ・海上自衛隊内部における部門別の問題・懸案・関心事の洗い出し
 ・事件発生時の海上保安庁と防衛省の役割分担の明確化
 ・近郊の小型船舶に対する航行上の教育訓練の徹底
 ・海自内の内局と幕僚が対立する案件の明確化
 ・海上自衛隊内部の最適組織改定案の策定
 ・新組織導入に対する発生する問題点の明確化と対策
 ・新組織導入後の問題発生に対応する修正案の事前策定
 ・事故・事件発生時の広報の一元化
 ・事故後の組織責任者の行動(謝罪を含む)に対する複数シミュレーションの策定
 ・事故対策チームの事故タイプ別の事前人選
 ・海自の対外的な(外国を含む)広報活動案を事故タイプ別に策定
 ・海自内の内部問題と国の有事が同時発生したときの対応策の事前策定
 ・防衛省事務次官の人選基準の明確化
 ・内規違反に対する厳罰化
 ・国防上の有事対策の精査と強化

2008年03月03日

2月20日のヘラルド・トリビューン(国際版)の紙面上におけるKaren W. Arensonの記名記事では、プリンストン大学で開発中の新入生に対する新しいプログラムを紹介している。このプログラムは、合格した学生に対し、入学前に海外での社会奉仕を1年間経験させるというもの。目的は、自分自身を発見することと、自分の目で世界の状況を確認することとしている。この1年間の経験により、人間として成長させるとともに、意義のある活動に携わることへの意識も養うというのだ。

優秀な学生の争奪戦が各国で始まっているということも聞く。米国では9・11テロ事件以降、優秀な海外からの留学希望者数が激減した。これに対し、全米の大学関係者は、米国上下院議会に留学生のビザ取得を容易にするための提案をした。そして、フルブライト基金も、理工系留学生に対する新しい制度を設置したそうだ。また、英国では、大学が優秀な留学生に対し年間数百万円の支援をしたり、中国国内で留学フェアを開催したりしているという。フランスでも中国内各都市にフランス語の教育センターを設置するなどの動きがあるとも聞く。

シンガポールでは、MITが分校を開設し、米国並みの教育を提供するということもいわれている。資金は政府が100%出資しているそうだ。

このような世界の潮流に対し、日本も遅まきながら、国を挙げて取り組む姿勢が望まれる。政府もそれなりの施策やプログラムを提供しているようだが、この際、なりふりかまわず、大胆かつ画期的な手を打たないと、技術立国・ニッポンは揺らぐことにある。なぜならば、日本の技術は今後、グローバルな人材が支えなければ、危うくなるからだ。さらに重要なことは量より質である、優秀な留学生に対しては、多額の奨学金を出すことによって、囲い込むという発想も必要であろう。