飯久保廣嗣 Blog

今月のはじめ、私は母校の理事会に理事として出席するためにアメリカを訪れた。現地で印象に残ったものの1つは、急激に増える中国製品の存在である。「世界の工場」と言われている中国からアメリカ社会に供給されている中国製品―Made in China―が確実にアメリカ社会の一部になっていることが近年の大きな“Change”だと思った。

Made in USA製品をアメリカのショッピング・モールやデパートで探すことがいかに困難か。毛皮製品からカシミア製品、そして電気機器などの精密機器も多くが、Made in Chinaである。

この事実を時代の流れとして容認することが自然なことなのかもしれない。しかし、私は問題意識として捉え、なぜこのような状態になったかを考えてしまう。

中国は外貨準備高が世界1位であり2010年には日本を抜いてGDPが第2位となることはまず確実だ。また、その経済力を背景に海軍が増強され、自前の航空母艦を建造していることも周知の事実である。一国が自国の繁栄を目指すことはごく自然である。中国はこうした国としての前進を、市場経済システムの導入により実現した。

実態としては、資本の原理が市場経済という美名の下に米国の企業により展開され、中国を経済大国にした。その過程には、儲けることだけを目的とし、倫理観、社会性、人間性を無視した企業行動も見られる。そうであれば、今後資本主義そのものが、中国という未だに共産主義国であり、国家統制下に置かれた国家に、その根本を揺るがされる事態を招くかもしれない。

欧米では、資本主義の根本にある「プロテスタンティズム」の思想が企業倫理を育てた。これは、企業と経営者が当然持っているべき精神だ。また、日本においても家訓という行動規範があり、昔の住友家の家訓「我住友の営業は時勢の変遷理財の得失を計り弛張興廃することあるべしと雖(いえど)も苟(いやしく)も浮利(ふり)に趨(はし)り軽進すべからず。」はその代表的なものである。

これらの観念が今日失われたことが、金融危機に端を発する世界同時経済不況の原因であるならば、真の資本主義を復興するために再考しなければならない。あれだけの経済力を持つ中国がアフリカで資源外交をするものの、ODAを展開して、途上国を援助するという話は聞かない。これは、中国では企業や国が社会的な責任を果たすという観念が希薄だからかもしれない

いわゆる“GREED”な企業経営者が合理と利益のみを追求し、今日の世界同時金融危機を生み出した。その結果、先進国が不況に陥り、中国が経済発展をしている。このままでいけば、米国にMade in Chinaの車が走ることになるだろう。

合理性を追求して利益を出すことのみが、市場経済のすべてであれば、企業の社会的責任や企業倫理はいらない。社員の福祉もいらない。社会正義もいらない。その結果、秩序のある資本主義社会は崩壊することになるかもしれない。

企業は儲けるために手段を選ばないことになる。それに対して政府が社会や市民を守るために規制や法律を作ることになるが、市場経済はボーダーレスになっており、有効に働く確証はない。そもそも世界社会で有効な規制などあるのだろうか。

1991年にソ連が崩壊し、自由主義陣営が勝利した。ところが、資本主義が儲けるためには手段を選ばないという風潮がこのまま続くと、中国という共産国家が米国や自由陣営を席巻すると言う皮肉な事態になるかもしれない。

ところで日本には江戸時代から商人道といった規範があった。だが、日本から日本人の手で日本の知恵を外国に発信した例は少ない。真の資本主義を持続させるためにも、ここらで、日本がイニチアチブを取り、西洋と非西洋が融合した新しい資本主義に対する概念や行動規範(法律や規制ではない)を世界に提唱したらどうだろうか。