飯久保廣嗣 Blog

最近気になる出来事

傍観から行動へ――。これは私の人生を送る上でのテーマの1つです。私事で恐縮ですが、30年ほど前、ちょっとした出来事から、改めてその必要性を感じたことがありました。

その頃、私には喫煙の習慣がありました。当時住んでいた神奈川県のある町で、土曜日の午後、くわえタバコで自宅への帰路を歩いていました。この地域ではボーイスカウトの活動が盛んで、ちょうどその時分に幼い男の子たちが道路の清掃に一生懸命、汗を流していました。そこで、私は何の罪悪感もなく、タバコのポイ捨てをやってしまったのです。

先日、長野県の諏訪市に仕事で足を運びました。仕事を済ませた後、時間が余ったので、温泉場に赴き、1時間ほどゆっくりつかることにしました。そこでひとつ驚き、感心する光景に遭遇しました。温泉場のトイレのスリッパが掃き口を入口方向に向け、掃きやすいように並べられていたのです

人間にとって最も重要な活動のひとつは、「考えること」です。ではなぜ考えるのでしょうか。この本質的なことについて、昨今はほとんど議論されなくなったように思えます。

このことは、我々が日常的に使っている言葉に対する定義が曖昧になっていることと無縁ではありません。そのほかにも、「意思決定」、「リスク」、「管理」、「目標」、「教育」、「コミュニケーション」など、それぞれの定義を意識しながら使う人は少ないのではないでしょうか。

実刑を受けた堀江被告がよく口にした言葉で「想定内」というものがあり、数年前に流行語にもなりました。実はこの想定内、そしてその反対の想定外という発想は、将来起こりうるリスクに対して、用いる場合が多いものです。

選挙の時期が近づいています。今回は、選挙民の選挙に対する意識と、自分の代理として国や自治体の経営をまかせる人物をどう選ぶかについて、考えてみたいと思います。

まずは選挙に対する意識ですが、投票は果たして国民の義務なのでしょうか。現状では、大多数の国民がそのような認識を持っているのではないでしょうか。もし、そうであれば、国民の大半は選挙の投票用紙がくるから、それに応じて投票所に足を運んでいることになります。いわば受身の立場です。これでは、国の経営に参加しているとはいえないと思うのです。さらにこの認識が、投票率低下の一因になっていると思えて仕方がないのです。

私は若い頃、神奈川県の某市に住んでいたことがあります。そのときに投書と親書には違いがあることを認識させられる経験をしました。

当時住んでいた貸家周辺は下水設備が不備があり、また周辺には治安上の問題もありました。そして時を同じくして、追加の市民税の納付書が送られてきました。私は周辺環境がおろそかにも関わらず追加の税金を要求することに納得がいかなかったので、当時の市長宛に手紙(親書)を送ることにしました。下水の状況、治安その他地域環境についての質問に対して文書で回答を求め、回答がない限り追加市民税は払わないという内容の手紙を書いたのです。