飯久保廣嗣 Blog

歴史的に見て、残念ながら戦後の日本は国も企業も自主的に主体的に意思決定をしたことがあまりなかった。解決策が必要な状態になると、海外先進国の事例に学び、それを導入するということの繰り返しであった。最近の例で言うと、J-SOX法という内部統制の法律の導入がある。この法律が結果として無駄を生み出していることは周知の事実である。

企業レベルでも、これまでは欧米の先進企業を手本にさまざまな意思決定をしてきた。しかし、ここにきて金融危機が発生し日本は独自に主体的に意思決定をしなければならない立場になり、これをどのように進めたらよいかの、基本的な考え方の枠組みが明確になっていないための混乱が起きている。

ここで、私は複雑な意思決定論を論じるつもりは毛頭ないが、日本の意思決定には、基本的な欠陥があることを指摘したい。それは、意思決定(選択肢)の副作用について、まったく無防備であるということである。最適な選択肢を選んだから問題なく実施されるはずだという神話があり、このことが思考停止を起こす。

この場合の思考停止とは、ある選択肢を実施した場合に起こりうる「将来問題」に対し、予め対応するという発想が欠如することである。すなわち、意思決定の副作用を想定し、それらに対する諸対策を策定し、それをもとに意思決定案を再構築しないことが、意思決定の精度不良を起こし、結果的にコスト高になる。それは、国で言えば、税金の無駄、企業で言えば、経営資源の無駄となる。

これらの発想をラショナル思考に置き換えれば、副作用はConsequence、起きた場合の影響を最小化する事前の対策がContingencyである。これらを意識した施策を策定・実施することが、税金や経営資源の無駄遣いを防ぐことにつながるのではないか。