飯久保廣嗣 Blog

税金の無駄遣いに対して、国民は大きな関心を持ち、それに対する対応の議論がなされている。しかし、この中で、欠けている視点が2つあり、それについて述べてみたい。

1つは戦略である。多くの学者や有識者は、日本には戦略がないので、国のあり方について議論をしなければならないという、評論家的なことは口にするが、具体的にそれを構築するために、どうしたらいいかという議論にはなかなか至らない。

近代日本史には明治維新、太平洋戦争敗戦、平成不況という3つの大きな節目があった。明治維新、太平洋戦争敗戦という混乱時には、日本人は国家として大きな戦略を形成し、それを具現化した。

この2つの歴史的な事柄に対しては、ごく自然に国家戦略を形成することができた。それは、「産業国日本の建設」と「経済復興」であり、これらは高度な分析など必要なく、結論を得ることができた。その背景には、外国の影響により自然とその方向性が決まり、国も国民も一丸となった対応があったのである。

しかし、今回の平成不況は、その原因が外国との関連ではなく、日本人が自ら引き起こした現象であり、それは複雑な要素が入り組んでいる。したがって、原因を明確にして対応することが非常に困難であり、失われた10年が、20年になろうとしている。このような背景から、日本としての戦略の形成がいまだに進まないのである。

そこで、スタート台に立つために、戦略の概念とは何かについて明確にする必要がある。私は、高度な戦略論を展開する資格はないが、自分なりの考えを提示したい。2000年余りの歴史を持つ日本という国があるのは、先人が何らかの戦略的な思考を持っていたからではなかろうか。

この戦略的な思考を先達が持っていたことの証拠は、広辞苑(昭和41年第1版25刷)の「経営」という言葉の定義にみることができる。そこには、「縄張をして営み造ること」、また、「規模を定め基礎を立てて物事を営むこと」とある。この発想がまさに戦略の原点といえる。

すなわち、「重点投資をする範囲や対象を明確にし、それに基づいて諸計画を策定すること」をいっているのではなかろうか。今日使われる戦略の概念に欠けている点は、まさにこの「重点投資をどうするか」という議論なのである。このことから、国の財政が破綻寸前にもかかわらず、バラマキの予算がまかり通ってしまう。技術立国を目指す発想も、どの領域に絞って重点投資をするかという基本的な視点がなければ、成果はおぼつかないだろう。

戦略とは、組織の将来の方向(Direction)や性質(Nature)を形成するための概念である。これを具現化した企業が、有名なフィンランドの携帯電話メーカーのノキアである。従来林業を主としていたが、重点投資領域と組織の性質転換のための戦略を形成し、それを見事に実現した例である。また、米国のGEは、総合電機メーカーだったが、重点投資領域の1つとして金融を設定し、事業展開した。これも戦略的発想の成功例である。

戦略形成を考えるときに重要なのは、組織を動かしている主な駆動力(ドライビングフォース)が何であるかを、見極めることである。その駆動力自体を変えることから、すべては始まる。例えば、個人レベルで言えば、若いときは収入だったのが、その後は生きがいになったり、社会に対する貢献になったりする。この駆動力が変わることによって、将来の方向や性質が転換することになる。

日本の戦略を考える場合に、従来の駆動力であった製造中心、外需依存社会をどのように変えるかについては、なされている。だが、何を駆動力にするかについての具体的な議論が収斂されていない。この駆動力は組織の規模によって必ずしも単一ではなく、複数あってよいと思う。また、戦略=長期計画という発想もこの際見直す必要もある。経営環境が激変すれば、柔軟に駆動力を変更することになるからである。

こういった戦略欠如の状態で法律を作り、諸施策が施行されてしまう結果、それがうまくいかない。うまくいかないことに対する対応策を国家予算を使ってまた考える。この悪循環が、税金の無駄につながるのである。

2つ目の欠けている視点については次回に譲りたい。