飯久保廣嗣 Blog

10数年前にある日本のシンクタンクと共同作業をしたときのことです。このシンクタンクはある省庁からプロジェクトを受注し、私たちがお手伝いしました。内容はある国家プロジェクトの推進に関わるものでしたが、作業を進めているうちに、目的が不明確になってしまいました。いつの間にか、この計画自体が不適切であるにも関わらず、それを適切であるかのような説明をするために、どのような裏付けやシナリオを作成すればいいかというものにねじ曲がってしまったのです。日本にはこのような現象が数多く見られます。それはなぜなのでしょうか。

また一方で、最近、「三角合併に関して法体系全体を見直すべきとき」と日本経団連の御手洗会長が指摘しています。また、医師法の改定で地方における医者不足の発生が問題視され、早くも法改正の必要性が論議されています。いずれも施行したばかりの法律が、すぐさま見直しの必要に迫られています。このような現象は何を意味するのでしょうか。

それはある行動をした結果、将来に起こりうる問題点を想定するという発想が皆無ということに、起因しています。つまり、法令や計画が優秀な人たちによって策定されたものであれば、それは問題なく実施され、所定の成果を必ず生み出すという発想が根本にあるのです。これはまさに“日本の神話”というよりほかありません。ですから、contingencyという考え方、(もし問題が発生した時にその影響を最小化する対策を事前に講ずる)が欠如しているのです。このcontingency は日本のことわざで「泥縄の教訓」と言う意味です。つまり、泥棒が入ってから縄をなうのでは手遅れであるということです。

また、仮に計画や起案が発表された時点で問題点を指摘すると、間違いなく反発の大合唱となるでしょう。一方、起案者が関係部署や上司に対して、この計画の問題点について助言を求めたとすると、「そんな自信のない計画は持ってくるな」と一蹴されるのがオチです。

しかし、そのようなことを繰り返していいのでしょうか。今後は、法律や計画の立案段階で、それらを実施した際の弊害やマイナスを分析し、対策を予め折り込むという発想が必要だと考えます。つまり、どんな完璧な起案にしろ、これを実施した場合、「問題はないね」という発想から、「どんな問題が考えられるか」といった、発想への転換が求められるのです。経営資源のムダはこのような場面にもあることを認識したいものです。