飯久保廣嗣 Blog

当社でも、新入社員教育の一翼を担う論理的思考の基本プログラムを開発し展開しています。このことと若干矛盾がありますが、新入社員教育を実施している先進国は、日本以外にはまずありません。日本の新入社員教育は日本の雇用体系が生み出した副産物といえます。

しかし、これからは新入社員を一堂に集めて教育するというパターンは、企業によっては変えざるを得ないのではないでしょうか。なぜならば、雇用の流動化が加速し、中途採用の比率の増加、つまり即戦力となる人材を採用する場面が増えるのが時代の必然だからです。そうなると、企業の理念や方針は個人ベースで、上司なり、同僚から受けるということになるでしょう。

一方、日本的新入社員教育が残る業界もあります。ただし、その目的を精査し明確にする必要性は出てきます。これもまた不思議なことですが、「大学生から社会人になる」という発想は日本にしかないと思います。なぜなら、欧米の大学ではインターンシップが広く普及し、学生時代から会社の一員として仕事をするのが通例となっており、卒業後は、シームレスな意識で就業するのが一般的だからです。

またもう一つの背景に、高校を卒業した時点で親元を離れ自立し、社会に出るという考え方が定着しているということも挙げられます。最近の米国の大学では、成績が優秀な学生に多額の奨学金を出す傾向が強く、自立を後押ししています。私の母校(デポー大学)などは全学生の95%が何らかのメリットスカラシップを受けています。

ところでインターンシップは、日本でも現在一部に導入され、今後は一般化してくるでしょうが、その目的を明確にしないと、中途半端なことになりかねません。私の承知している米国の大学におけるインターンシップとは、社会経験を通じて大学生本人の能力を伸ばすことが、目的であります。受け入れ側は実際にアサイメントを与えます。学部4年生がある研究所にインターンとして入り、3ヶ月間で研究論文を書き上げ、それが専門誌に掲載されたというケースもありました。

米国ではこうしたケースのように、企業に就職する前に第一線で一人前として受け入れ、実際の仕事を与え、企業との接点を自覚させるのです。従って、卒業後に改めて社会人としての心構えを教えるような教育は必要ないわけです。

今日の日本社会は、大学生に対してもっと厳しい姿勢をとり、訓練する必要があります。一部の優秀な日本人の大学生を除いて、入社その日から問題課題を設定し、その解決策を策定できるような教育がなされることを期待したいものです。そうすれば、主体的に行動できる「新入社員」が増えてくるのではないでしょうか。