飯久保廣嗣 Blog

小学校での英語教育の強化の必要性が論じられています。国連加盟国190余国の中で、英語力が最も欠けている先進国は日本、といっても過言ではないことが現状です。英語教育にこれだけ注力していながら、投資効果が現れない稀有なケースの日本。国や教育関係者は、活路を“小学校英語”に見出そうとしているようです。

しかし、私は現在推進されようとしている小5からの英語教育には大きな疑問を感じます。なぜなら、重要な視点が抜けているからです。

そのひとつは、「なぜ英語教育(発信や討議)の成果がでないのか」という状況の原因が分析されていないからです。私は、原因のひとつは、英語そのものではなく、自分の意見を発信する力、ケンカ腰でも相手を論破(これは論点に対する対立で、人間関係に影響は与えない)、質問をする能力、そして物事を論理的に考える訓練の欠如にあると思います。

もうひとつは、英語を教えるための選択肢が不毛で、単に「英語を教育する」という発想から脱却できないところに問題であると思います。子供たちに英語を教える目的が、英語に馴染むことから始まり実用的な主張ができるようになることであれば、単なる英語の授業は反発を招きコンプレックスを与えるのではないでしょうか。

そこでひとつの選択肢として、歴史や数学や社会の授業の中で、基本的な英語の単語を教えることもひとつの方法ではないでしょうか。例えば歴史の時間で、「歴史を英語で言うとHISTORYであり、世界史はWORLD HISTORY, 東洋史はASIAN HISTORY」といったことを教えれば、自然と英語に馴染むのではないでしょうか。数学で「足し算はADDITION、割り算はDEVISION」また、物事を判断する為の規則やルールは、定規(RULER)からきている等、教師にあまり負担をかけずに英語に馴染む授業ができるのではないでしょうか。