飯久保廣嗣 Blog

刑事訴訟問題、スキャンダル、経済犯罪などで社会的に糾弾された公人(議員や官僚など、公務についている人々―大辞林より)が復活し、世間で大手をふるって活動しているケースが目立つ。この現象を日本の国民が許しているとすれば、それは日本国の民度や国民の質が低下していることの表れではないだろうか

欧米社会では、絶対に見られない現象といっても過言ではない。卑近な例を1つ話そう。

十数年前に、米国の州議会の議員を務め、州の財務を任されていた私の知り合いが、資金運営の不明朗な点を糾弾され、禁固刑となった。

この議員はその後、事実上、公職から追放されることになった。おそらく弁護士を開業したり、企業の幹部として活動するという選択肢は残るかもしれない。しかし、公職に再度就くということを、州民は決して認めないし、本人もその道を選ぼうとはしないだろう。

翻ってわが日本では、疑惑を持たれている人物が、公人として復帰し、堂々とメディアに取り上げられ、その活動ぶりが報道されているのである。この状況を問題として捉えないほど、日本人の公人に対する意識は、低下したのであろうか。

このような状況を改革するためには、まず、マスメディアが良識ある姿勢や態度をとることが肝要である。「復活」「生還」などとちやほやせず、何をやっても全く無視を決め込み、報道しない。こうして社会的に抹殺することが、実は一番効果がある。

国民も、話題にしない、選挙に出ても投票しない。この姿勢を貫く。また、たとえ事件やスキャンダルを起こしてなくても、「知名度こそ選挙に勝利する条件」と思っている候補者は要注意ということを心したいものである。