飯久保廣嗣 Blog

広辞苑第六版が2008年1月11日に書店に並んだ。第五版から10年ぶりの発刊となる。その新版の広辞苑における私の最大の関心事のひとつは、「意思決定」という言葉の存在だった。

1955年の第一版以来、広辞苑には「意思決定」という重要なキーワードが不掲載であり、このことに長年不満を持っていた。そこで、第六版で調べてみると、またしても不掲載である。「意思」と「決定」はそれぞれ意味が出ているが、「意思決定」は見当たらない。

同時に経営用語で欠かせない「リスク」については載っているものの、今日的定義には程遠いものだった。また、これも経営上の重要な用語である「課題」については、わずか2行の説明にとどまっていた。ちなみに、米国の辞書の WEBSTERを毎回引き合いに出して恐縮だが、そこには55行の解説がなされている。

広辞苑の第六版の編集には、編者の大変な努力と献身があったことだろう。しかしながら、グローバル化している情勢の中で、掲載用語やその定義を見ると、あたかも時が止まってしまっているような印象を持たざるを得ない。その原因は何か。詳しく見ていくうちに、巻末で各界の協力した専門家のリストを目にして、合点がいった。

専門家の中に「経営」を専門分野とする方が一人も入っていないのである。また、「経済」に関しては4名の方の名が挙がっているが、「哲学」は3名、「国際」は辛うじて1名、そして、教育はゼロとなっている。これは165名にも上る専門家のリストの中での数字である。このことが何を意味しているか。それは今日の日本が置かれている閉塞状況を端的に表しているといえないだろうか。

つまり、社会生活にとって重要な領域について、あまり議論がされていないのではないかと思うのである。ではほかの157名はどのような分野の専門家かというと、それは各知識領域の専門家の集団なのである。例えば、陶芸、農業、生物、音楽、植物、芸能、美術、日本史、中国史、科学、医学などの専門家の名前が挙がっている。その中でも、農林水産は8名、医学は8名、音楽は10名、そして、文学・歴史にいたっては31名にも及ぶ。

わが国の将来やビジョンの確立が必要とされている今日、日本人のこれまでのメンタリティ、すなわち、広辞苑の協力者の分布に表れているような構造を大幅に改革する必要が、この事実からも言えるのではないか。政府がブレーンとして招集する学識経験者や有識者も、こうした発想が潜在的にあるのではないか。この現状に警鐘を鳴らしたい。

fig2.gif