飯久保廣嗣 Blog

2008年1月6日(日)に、自宅で新聞の朝刊を読んでいた。日本経済新聞と産経新聞である。それら2紙を読んでいて、平穏な日曜日の昼下がりにくつろいでいた気分が一気に吹き飛ぶような、驚くべきことを発見した。

2紙は、駐リトアニア領事代理だった杉浦千畝に関する聞き取り調査の報告書がまとまったという内容を報道していた。しかし、信じられないことに、それらの記事は見出しこそ異なっていたものの、本文は一字一句同じものだったのである。これはどちらかの新聞が盗作したのか、または、同じ記者が書いたのか。そんな素朴な疑問さえ浮かんできた。「大手の新聞に限ってそんなことがあるはずない」と思う人は、どうぞ図書館で2紙のバックナンバーなり、数ヵ月後に出る縮刷版なりで確認して頂きたい。

この事実を、新聞の購読を楽しみにしている私のような読者はどう解釈したらよいのだろう。記事は通信社が配信したものなのかもしれない。だが、それなら配信元の通信社名の記述があってしかるべきであるが、それは全く見当たらない。このようなことが現実に起きた原因と背景について、説明を求めることは、読者の権利であり、義務ではなかろうか。

企業倫理やコンプライアンスが重要事項として取り上げられている今日、このような事態に対して、一般読者が平気でいられるのであれば、それこそ問題である。自由主義社会において、言論の自由を主張するならば、各々が発信する内容に対して責任を持つことは当然のことである。社会に対して情報を発信し、マスコミニケーションを推進する立場にあるマスメディアの方々に、猛反省を促すことは、果たして筋違いなことだろうか。