飯久保廣嗣 Blog

今回は、日本で論理的思考がどのように発展を遂げてきたか、その経緯に触れたいと思います。私が言う、論理的思考とは、形式論理学に対する実践論理学を指します。つまり、問題解決や意思決定、さらにリスクへの対応をいかに効率的でラショナル(筋を通して堂々巡りせず)に展開するかを、体系的にまとめたものであります。

今から遡ること40年。1966年に、C.H.ケプナー博士、B.B.トリゴー博士の共著“The Rational Manager(『管理者の判断力』)”が、当時産業能率大学の理事長を務められていた上野一郎先生によって訳され、出版されました。それは日本で論理的思考が産声を上げた瞬間だったといえます。

それから3年経った1969年、私はケプナー・トリゴー・メソッド(KT法)と運命的な出会いを果たしました。当時私は上智大学国際部の非常勤講師を務めており、同大学で開催された日本における最初のKT法研修会に参加。KT法が説く論理的思考の世界に大変感銘を受け、「物事をシステマティックに考えること」の重要性を肌で感じました。

また、このセミナーから日本人の思考様式が未整理で、効率が悪いということ、また、日本の国際化のためにその確立が必須であるということを、認識させられました。国際コミュニケーションにおいて考えるベクトルが合わなければ、いくら語学力(英語力)に長けていても議論はかみ合わないわけです。

そこで、1972年に、私はKT社に請われる形で日本法人を設立し、初代の社長に就任しました。当時は、外資系の会社設立には、日銀の許認可が必要であり、申請した際には「このような事業は日本では成立がおぼつかない」と釘を刺されたものでした。つまり、企業が無形なものにコストをかけるのは、「弁護士もしくは公認会計士くらい」というのが、世の中の常識的な見方だったわけです。

一方で、東京大学の経済学部の名誉教授で日本の組織学界やマネジメントにおいて指導的立場を担われていた、故・高宮晋先生には「この領域は将来日本にとって重要になると思うので、ぜひやりたまえ」といった心強い言葉をいただきました。私はその助言に励まされ、論理的思考を広める活動を開始しました。

西洋生まれの考え方が、日本で評価されるか否かは、伝統的な企業が採用するかどうかにかかっている。そう思った私は、日立製作所、日産自動車、セイコー、富士フィルム等の歴史のある大企業に、売込みをかけ、実際に採用していただきました。その後、友人に、ホンダやソニーといった当時の先進的な企業に評価されなければ本物ではないと言われ、両社にも売り込みをかけ、結果的に両社とも導入することになりました。特に、ホンダでは当時の河島喜好社長以下、全社を上げて社内の共通思考言語として採用いただきました。

そして1980年代、米国の製造業は大きなトラブルを、その品質や生産性に抱えるようになります。そこで、私は日本的経営のエッセンスを標準化し、米国に逆輸出することを考えつきました。これを、KT本社の社長であった、故・トリゴー氏に提案したところ、真っ向から反対され、この発想は一時頓挫。しかしこのことをケプナー博士に相談したところ、KT社の創業者である博士も私の考えに賛同し、同社を退任。私はケプナー博士の絶大なる協力を得て、日本の経営にマッチした国産プログラムの開発を進めました。

その結果、1984年に、EM法(Effective Management)を開発し、今日に至っているわけです。KT法の論理的なエッセンスは普遍であり、EM法もこの思考様式をベースにし、以来、23年にわたり、各社において評価をいただいております。また、近年においては、各企業の事情に合わせてカスタマイズされた形で、より実践的な成果を出せる関連諸商品を共同開発させていただいております。

我国において、自主的に、主体的に判断業務を進める際、しっかりとした思考上のプロセスを組むための思考技術を身に付けることは、個人にも組織にも不可欠です。特に、変化の激しい時代では、即時に分析のプロセスが構築できるような思考技術の訓練が必要。この領域は、日本の企業のみならず社会全体が苦手とするものでありますが、避けては通れない重要な課題です。

今のまま日本的発想、日本的思考様式を放置すると、問題解決や意思決定において、世界から孤立する危険性があります。既に、アジア諸国の中では、日本人と問題解決するより、欧米とのやり取りの方が容易であるという意見も聞かれます。米国生まれの思考様式がデファクトスタンダードとされている今日、日本の高等教育においても、また企業内教育においても、論理的思考の重要性を認識していただきたいと思います。

私がEM法として展開している論理的思考法の各々の考え方は、日本人に、そして日本の文化に、また先達の知恵のなかに、すべて存在するものです。ただ、それらを集約して実践的な考えるプロセスとして確立をする能力に長けている米国が、EM法の原型を構築したに過ぎないと言えます。そういう意味では、論理的思考は訓練すればすべての日本人が身に付けられるものであると、私は確信しております。