飯久保廣嗣 Blog

日銀総裁の投資問題が連日世間を騒がせているようです。今回の一件で間違いなく傷つけられたものがあります。それは、日銀総裁のdignityです。

私自身、現日銀総裁の手腕を高く評価しているものの一人であります。また、有利な投資をすることは基本的には個人の自由だと思います。しかし、日銀総裁は言うまでもなく中央銀行のトップであり、その手腕以前に高い倫理観と理性が求められると、私は考えます。

欧米でも、政府関連の仕事を進める上で、倫理観は非常に重要なファクターと位置づけられています。
実際に問題が起きた場合、本人が自分の持つ倫理観に反したと判断すれば、即座に辞任する――。
そうしたケースが少なからず見られます。倫理観の捉え方には個人差があり、辞任するかしないかは個人の判断に委ねられますが、少なくとも、倫理観という尺度で物事を見極める姿勢は必要だと思います。

そして、同時に求められるのが理性です。論理的思考力と置き換えてもいいでしょう。今回の場合も、論理的思考力を用いてこの問題を考えるべきでした。つまり、「もし投資を続けた場合、公的立場上どのようなマイナス面が存在し、それが表面化する可能性がどの程度あるのか」、また、「もし、表面化した場合、どのようなインパクトが考えられるか」といったことを予め考慮し、最終的な判断を下すべきだったと思います。

さらに、マスメディアで問題が取沙汰されたときも、「今後、道義的な責任を追求される可能性はあるのか」、「自分自身や日銀にどのような影響があるのか」などを考える必要があったでしょう。論理的思考力を駆使すれば、違った判断もあったかもしれません。

私はマスメディアが長期間にわたりこの問題の報道を続けることで、日銀総裁のdignity(品位、尊厳)が著しく失墜してしまうことを危惧します。海外にも広く報道され、問題が日銀総裁にとどまらず、日本や日本人のdignityに及ぶことを深く憂慮します。

重要な判断を下すときは起こりうるマイナス面を徹底的に意識する――。そうしたことが当たり前にできるような社会になってほしいと、私は思います。